Memory〜記憶〜


    1. 「ホームページ」 2003.04.15
    2. 「春の風景」 2003.04.21
    3. 「ダイエット」 2003.05.18
    4. 「6月といえば」 2003.06.01
    5. 「お祭りの夜に」 2003.06.08
    6. 「雨の降る夜が好き」 2003.07.05
    7. 「懐かしい職場」 2003.07.21
    8. 「夏の思い出」 2003.08.17
    9. 「そこに海がある」 2003.10.29
    10. 「夢が持てるようになった」 2003.12.14
    11. 「ほしくて手に入らなかったもの」 2004.02.29
    12. 「弥生」 2004.03.19
    13. 「最近やっと好きになれたもの」 2004.05.26
    14. 「なりたい自分になれるかどうか」 2004.07.09
    15. 「夾竹桃の影」 2004.08.01
    16. 「次、いってみよーーっ!」 2004.10.15
    17. 「祈り」 2005.01.17
    18. 「ふるさと」 2005.05.27
    19. 「父」 2005.08.11
    20. 「花の香り」 2005.11.01
    21. 「人生に似ている」 2006.01.17
    22. 「順番」 2006.03.22
    23. 「姉」 2006.08.22
    24. 「長男」 2006.09.17
    25. 「次男」 2006.9.30
    26. 「母より」 2008.02.29
    27. 「お母さんの言葉」 2008.07.26
    28. 「からーん ころーん からんからん ころん♪」 2009.02.26
    29. 「二人姉妹」 2009.04.03
    30. 「最期の言葉」2011.08.26
    31. 「父が教えてくれたこと」2013.8.26
    32. 「父の一周忌を前に」2014.3.25
    33. 「過去いっさいなし。」2014.8.01
    34. 「私が男として生まれていれば。」2015.03.01
    35. 「世界一」2015.10.08
    36. 「困ったことに。」2016.0.07
    37. 「現生は修行の場」2016.11.08
    38. 「これさえなければ、という弱点が。」2017.04.03

    「ホームページ」

    (2003・4・15)

    ホームページを作ろうと思ったのは 2月の下旬だったのに2ヶ月もの間何をしていたのか、
    ってつい考えてしまいます。 専門的な学校を出られた職場の女の子に(かわいい)聞いてみたら
    絶対HTMLがいいよ、 と言われ何度も励ましていただいたので 
    もうこれは頑張るしかないっ、と本をたくさん買ってきました。
    正直 たくさん買ってきただけで なんとなく満足してしまって・・・。

    開いてみてびっくり。なんだぁこれは〜〜?さっぱりわからないって感じで。脳みそが拒絶反応を示してしまって。
    本のタイトルには「3日でできる・・」って書いてあるけど どうしたらこんなのが3日でてきるの〜〜?って感じで。
    希望に燃えていたはずなのに いっきに自信がなくなってしまいました。ど、どうしようっ!なかなか進まない。
    人に思いっきり宣言してしまっていながら しばらくその事にふれないようにこそこそとやっていました。

    言い訳になりますが とにかく忙しかったのです。嵐のような日々だったもので・・・
    だけどさすがに 2ヶ月も経ってしまっては・・・なんとかしなくては〜〜、と
    精神的に追いつめられて 日夜がんばってやっているのですけど、「ああっ」・・なんて めまいが・・・。
    なんだかもう涙がでちゃう。女の子なんだも〜ん。・・・などとわけのわからないことを言いつつ
    泣きながら?やってます。(いえ、ほんとはとても楽しいですけど。)

    今日 晩ご飯の仕度をするのに冷蔵庫を開けたら 食品保存用ラップが冷蔵庫の中にしまってありました・・。
    誰〜こんなとこに入れたのは〜?(私だ・・・)いけないいけない どうかしてるわ〜私、って考えつつ
    歯磨きをしようと歯磨き粉を歯ブラシにつけたつもりが はっ として見たら洗顔料で・・・・
    「もう あたしってだめ〜〜っ!!」

    [戻る]

    「春の風景」

    (2003・4・21)

    仕事からの帰り道 小学生の男の子たちが 豆笛を鳴らしてにぎやかに帰る姿を見つけました。
    妙に懐かしく 微笑んでしばらく眺めてしまいました。
    私たちの幼い頃には そこら辺にいつでも緑の草の絨毯があって
    みんなで座りこんで しろつめ草で首飾りを編んだり 四葉のクローバーを探したり そんな遊びをしていました。
    今では れんげ畑も目にしなくなり れんげ色にびっしりと染まった幸せな風景も見ることがありません。

    小さい頃 友だちの家に遊びにに行った時 いちご畑があって それはビニールハウスとかではなく
    お日さまの下で 大きく育った真っ赤な苺を 友だちと取ってほおばって食べた時の
    あの苺の おいしかったことといったら 今でも忘れられないのです。
    だから いちご畑 イコール 幸せな春の風景として 私の中にインプットされています。

    人生には ほんの一瞬のことが 一生残ることもたくさんあるのですね。
    そんな素敵で 幸せな季節の風景が 自分にも家族にも そして私の大切な人たちにも
    たくさんあったらいいのになぁ〜〜、って ふと思いました。 春が・・好きです。

    [戻る]

    「ダイエット」

    (2003・5・18)

    人間何か変わるきっかけがなければ そんなに変われないものだと、今になるとわかるのですが
    結婚をして ずっと出たことのない田舎町を出て 千葉に転居した時から 私は太りはじめました。
    それまでは 小さな田舎の町で どこそこのなんとかにお勤めのお嬢さんと何をしても息苦しいほどに言われ
    いつも外に出るときは 営業用?の笑顔をふりまき歩かなければなりませんでした。すごく苦痛でした。
    変な話ですが田舎とはそういうものです。ところが 千葉に越してみたら 誰も私を見てはいない。

    なんという開放感!!あまりに気が楽で 解き放たれたようで こんなに快適なことはないと思いました。
    しかし・・・それがいけなかった。人間は緊張感がなくなるとぶくぶくと太ってしまうものですね。
    ダイエットをしなくてはと ありとあらゆるダイエット食品やダイエット茶を試しまくった結果
    おかげさまで?順調に ますます太ってしまっていました〜〜〜!(泣)(悲惨だーーっ)
    太ることはあっても 痩せることがなかったのです。もう針で突いたら パーーンといきそうでした。

    ところが 去年 夜走りだしたのがきっかけなのですが 
    あれよあれよという間に痩せ始め 去年より10キロ以上は減っています。
    ベストにはあと3キロくらい減らしたいところですが 今月に入ってからも1〜2キロ減。
    取れたお肉は 私の身体を軽くしてくれるだけでなく 心まで軽くしてくれます。
    きっと 心が変われたからだと思います。中身が変わらなければ 外も変わりません。
    今 そのことを実感します。食べたらいけない、と思えば思うほど
    何でもいいから食べてしまいたくなります。
    そして食べてしまうと またそんな自分を責めます。自分が嫌になります。悪循環の繰り返しです。
    痩せていればいいのではありません。ただ私は太りすぎて不健康でした。

    心も身体も健康でいなければなりません。自分を大切にしなければと思います。
    いつも心がうるうるとして 豊かでありたい。いい音楽は ダイエットにも効果的です。

    [戻る]

    「6月といえば」

    (2003・6・1)

    今日から6月ですね。
    私は 一年中 季節のイベントに追われる仕事をしています。
    お正月だ、バレンタインデーだ、ホワイトデーだ!
    卒業式だ、入学式だ、母の日だ〜〜〜っ!、
    ・・・と言って走っているうちに あっという間に一年が終わっている感じです。
    いつも忙しく走っているような気がします。
    そんな中で比較的ゆったりしているのが 6月でしょうか。
    父の日もありますが 残念ながら母の日ほどの盛り上がりはありません。

    6月といえば 私の場合 まずイメージするのは「6月の花嫁」です。
    なんとなく女性にとってのあこがれですね。
    (もう関係ないって?それはそうなんですけどね。一応。(笑))
    次に思いつくのは やはり「梅雨」です。紫陽花とかたつむり。
    ・・・と 美しくまとめておきましょう。無理矢理。(笑)
    そして 次に私がイメージするのは 「お祭り」なのです。

    私の生まれ育った小さな町では6月の第2と第3土曜日に「ホタル祭り」というのをやっています。
    いつも人気のない静かな町が このときばかりはたくさんの人であふれ返ります。
    あまり 人を見ることに慣れていない田舎の少女(?)は いつも 目がまわっていました。
    お祭りに着る ゆかたは うれしいものでした。誰か知った人に会わないかな〜、ってときめいたものです。
    お祭りの舞台で日本舞踊を踊ったこともあります。
    髪を結い、きれいな着物を着せてもらい、お化粧してもらえることが うれしくてたまりませんでした。
    いい思い出です。
    昔は ホタルが乱れ飛んでいました。その美しさは とても言葉では言い表せませんが
    いつまでもながめていたい景色でした。胸が妙に熱くなるものでした。
    今では ホタルの数も少なく さびしくなりましたが この季節になると 田舎に帰らなきゃ、って いつも思います。
    どの町にも お祭りはあるものですね。
    それぞれの人の胸に 懐かしいふるさとのお祭りがあるのだなぁ・・・、と ふと思いました。
    大切にしたいです。

    [戻る]

    「お祭りの夜に」

    (2003・6・8)

    もう何年も 田舎のお祭りに帰っていなかったので 昨夜は楽しみにして久々に帰ってみました。
    いつもは静かな町も この日ばかりはにぎやかで 出店も並び たくさんの人であふれかえっていました。
    なんとなく 昔の自分に戻った気持ちで一人歩いてみたくなり
    少しうきうきした気持ちで人の波に押されながら歩いてみました。
    あの日の自分に出逢えるような気がしたからです。

    けれど たくさんの人の中で 私の知った顔がどこにも見つからないのです。
    町は昔のままなのに 知った人に出逢えない。昔は いやになるほどみんな知った人ばかりだったのに・・・。
    みんなどこに行ってしまったの?そんな気持ちです。こんなに一人がさみしく思えたことはありませんでした。
    時が流れてしまったことを しみじみと感じ 切なくてたまらなくなりました。

    ふるさとは その景色だけではないのだと 痛感します。
    そこに あの日の自分を知っている人がたくさんいると思うから 帰りたいのかもしれません。
    待ってくれている人がいればこそ帰りたい。
    母や父や姉と またたわいのない話をして なんだかほっとしました。
    今度は たくさんの友だちと 会う約束をして帰りたいと思います。

    人がふるさとなのだと 思わずにはいられないお祭りの夜でした。

    [戻る]

    「雨の降る夜が好き」

    (2003・7・5)

    小さい頃から 雨の降る夜が好きでした。
    さみしさもあるけれど すべてを包み込んでくれるような夜の雨は
    思いっきり泣いてもいいよ、と 心を楽にしてくれます。
    つぶやくような言葉も 聞き逃さずにそばにいてくれる友人のようでもあります。

    いつも元気でいたいのですが 時々は 泣いてみたくなります。
    いつも強い自分ではいられません。
    妙にさみしくなったり 自分の生き方を問いただします。

    雨は 静かに自分と向き合う時間を与えてくれます。
    毎日雨ばかり降り続くこの季節は
    自分を見つめなおす季節なのかもしれません。
    乾きそうな心に 夜の雨はとても優しくて
    ぐっすりと眠れたら また笑顔でがんばれるような気がします。
    だから雨の降り続く こんな季節もとてもすてきです。

    今夜もそして雨の夜。
    静かに過ごす一人の時間も 大切にしたいと思います。
    私は 雨の降る夜が好き。
      

    [戻る]

    「懐かしい職場」

    (2003・7・21)

    結婚するまで勤めていた職場から 毎年 ご案内の手紙をいただきます。
    今年も昨日 郵便受けに入っていました。
    年に一度退職者を招いてくださり 懇親会を催してくださるのです。
    他にも年に一度は会報誌を送ってくださったり 創業120周年の時には 記念品まで送っていただきました。
    毎年変わらずにこのように大切にしていただけることに 本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
    そして 懐かしさでいっぱいになります。

    思い出すと 厳しい職場でした。入った時は 緊張で 毎日ろくに食事ものどを通りませんでした。
    日々自分の持っている能力では 追いつけないくらいの仕事量と内容でした。もういっぱいいっぱい。
    入って3ヶ月で担当の先輩がやめられてからは わけもわからないなりに必死でこなすのですが
    頑張っても頑張っても失敗もあり あまりの悔しさに家に帰っては涙が出ていました。
    そんな私を見ると 父親はすぐにムキになって「そんな仕事なんかやめてしまえ!」と怒っていました。
    でも そう言われると不思議なもので やっぱり頑張ろう、と なぜか冷静になれていました。

    月末等は 特に忙しく、時間との戦いで 手も震え心臓が止まりそうなくらいの思いで タイプを打っていました。
    追いつめられるあの時の恐怖は 今でも夢に出てきてうなされます。

    そして先輩の女性達は いつもきれいにされていて 素敵な人ばかりでした。
    髪の毛は巻き髪で女らしく 高いハイヒールを履き 背筋はピンと伸びて・・・
    バリバリと仕事をされる姿は あまりにもカッコよくて 見とれるばかりでした。
    聞いたこともないような 丁寧な言葉を話され 上品に笑われる先輩を見て
    とんでもないところに就職してしまったと ショックだったことを思い出します。

    先輩にあこがれて 慣れないハイヒールも履いていました。
    通勤途中、道で思いきり転んでケガをして おまけに腕時計まで壊したこともあります。
    巻き髪にあこがれて カーラーで巻いたらカールがかかりすぎて 巨大な頭になってしまったり ・・・
    今思うとすべて笑い話のようです。

    先輩の前で思わず声を上げて大笑いしたら 目をむいて驚かれ 
    もっと上品に笑いなさいと説教されました。
    きちんと仕事が出来ていないと
    「どうなってるの?わかってらっしゃるの?」と一言 言われるのですが
    小さい声で 丁寧にに言われる言葉ほど 強烈に効くものだと その時知りました。

    苦しい日々でしたが 学んだことは山のようにたくさんありました。
    振り返るとき 一生懸命頑張った自分が そこにいます。それだけで私は満足します。
    今でも先輩後輩とも やり取りがあり 一昨年は久々にみんなで集まりました。うれしいことです。

    いつまでも きちんとした自分でありたいと
    こうして毎年 案内をいただく度に 身の引き締まる思いがします。
    懐かしい職場が そして共に働いた仲間が いつまでも元気であってほしいと願う気持ちでいっぱいです。

    [戻る]

    「夏の思い出」

    (2003・8・17)

    夏は 思い出がいっぱいに詰まった季節です。
    ぎらぎらとした陽ざしとともに たくさんの思い出がこの胸にあふれます。
    夏の大きな自然をバックに たくさんの記憶がよみがえります。

    けれど 色々な思い出がある中 私が一番に思い出す夏の風景は 幼い頃のなにげない日常の風景です。
    やさしい母と過ごした時間を とても懐かしく思い出します。
    きっと私にとって それが一番幸せでうれしい時間だったからだと思います。

    私の母はずっと仕事をしていました。朝も早くて いつも 朝起きたら母の姿はありませんでした。
    作り置きされたご飯を一人で食べるのが毎日の日課でした。
    母は 日曜や祭日もなく お盆もお正月もない仕事をしていました。
    けれど不思議と あまりさみしいと思ったことはありません。 いっぱいの愛情をもらえている実感があったからです。
    いろいろなことを静かに話して聞かせてくれる母でした。

    夏休みは 少しでも長い時間 母と一緒に過ごせることがうれしくてたまりませんでした。
    夏の夜には 窓を開け放ち 蚊帳を吊るした中で 休みました。
    蚊取り線香の香りがあたり一面に漂っていて そばでは 私が眠りにつくまで母がうちわで扇いでくれていました。
    そんな風景を いまもうれしい気持ちで思い出します。

    お盆とはいえ 田舎に帰ることもできない私に 母からの電話が・・・
    「のりちゃん 元気にしちょるかね〜〜。」

    ・・・なんだかやけに胸がじーんとして 急に帰りたい気持ちでいっぱいの今日この頃です。

    [戻る]

    「そこに海がある」

    (2003・10・29)

    私の生活の中には いつも海があります。
    私の家は 海を見下ろす高台にあり なにげない景色の中に穏やかで静かな海が広がっています。
    考えてみればとても贅沢なことなのです。これほどの美しい海は どこにでもあるものではありません。
    なのに 人間はいつもそばにあると思うと安心します。それがあたり前だと思ってしまうのです。

    ここに越して来たのは平成4年の2月のことでした。
    千葉に住んで3年になっていた私は 海というとにぎやかな稲毛海岸を思い浮かべるようになっていました。
    もともと山口の人間なのですが 山の中の海の見えない場所で育ったこともあり、
    海をあまり見たことがありませんでした。

    光市に越してきて この海を目の前にした時 あまりの感動に涙がポロポロと流れていました。
    ただただ涙がこぼれてしまう。本当にそんな海なのです。
    あまりにも静かで 穏やかで美しい海です。
    ここで新しい生活をスタートできるなんて なんて幸せなことだろう、と思いました。
    家を建てると決めたときも 絶対この海の近くから離れたくないと思いました。
    他の場所を夫に提案されでも 絶対ここがいいと言い張りました。

    なのに いつでも見たい時に見れると思うと 安心してしまうものです。
    日々の忙しさに追われ あらためて海を眺めることを忘れていました。
    景色の中に映る海を何気なく見るだけの日々を過ごしてしまいました。
    感謝することも忘れて・・・。

    大切なものは 大切にしたい。最近とても強くそう思うようになりました。

    この頃は いつも海を見にいきます。日によって すこしづつ海の表情も変わっています。
    海は 空の色を映しながら いつも私の前で 大きく優しい姿を見せてくれます。
    海の前に立つと 私は 解き放たれます。
    全てを受けとめてくれる海を前に 私は ただ「ありがとう」って言いたくなるのです。

    そこに海がある。いつもこうして海は 私を待っていてくれる。
    そしていつも私を受けとめてくれる。なんて幸せなことなのでしょう。

    海は みんなのものです。わたしだけのものではない。わかっているけれどそれが寂しい時もあります。
    だから誰もいない夜の海が好き。

    大切なものは いつもそばにあって、けれど それがあたり前になると 感謝することも忘れてしまいます。
    あたり前のようで あたり前ではない。
    海があってうれしい。いつもこうして海を見れることがうれしい。

    今日も海は 穏やかに きらきらと輝いています。
      

    [戻る]

    「夢が持てるようになった」

    (2003・12・14)

    私は 子供の頃から 夢は眠った時に見るものだと思っていました。
    夢は叶うものではない、と 子どもながら心のどこかで思っていたのです。

    それは私が 小さい頃から絶望感を味わっていたためです。
    絶望というと とても大げさなのですが
    あまりにも車酔いがひどく 車に乗れなかった、ということにありました。
    今考えても信じられないくらいでした。バスの側を通るだけで吐きそうでした。
    学校の見学旅行があるときは もう前の日から胃の中のものが上がって来ました。
    気持ちが悪くて夜も眠れませんでした。
    酔い止めのお薬を飲んだらいいと言われ 飲んでみたのですが その瞬間から嘔吐がつき 吐いてしまいます。
    乗らないうちから すでに酔った状態でふらふらなのです。

    こんな自分でしたので 人に迷惑をかけるのがいやでいやで 小中高と全部修学旅行は諦めました。
    みんながうれしそうに旅行の話をしている時に 一人取り残される孤独感は
    まだ幼い私にとっては あまりにも残酷なものでした。
    どうにかしたくても どうにもならない現実に、幼いながら絶望感を味わいました。乗り物は全部だめだったのです。
    自分を守る方法は 人生はこんなものだ、と自分に言い聞かせることしかありませんでした。

    私はきっと 一生どこにも行けない。この小さい町からきっと一生出られない。
    きっと新婚旅行にもいけない。結婚もできない。
    したいことも なりたいことも 本当はたくさんありました。でもここから出て行けない。
    夢に向かってチャレンジすることなんて出来ない。夢は叶うものではない・・・と。
    叶うわけがないと思っているから 夢をとても口に出しては言うことなんてできませんでした。
    あまりにも大きな夢をみんなの前で言える人を見ると
    『この人は大丈夫なのかしら・・・』と 内心思ってしまう私がいました。そんな自分がいやでした。

    でもでも!人間って変われるのですね!!・・・私はそれを今 実感しています。
    今の私は 何処にでも行けます。車にもバスにも新幹線にも船にも飛行機にも乗れます。
    なんてうれしいことでしょうか!世界がう〜〜〜〜んと広がりました。

    そして今、私は今まで生きてきた中で 一番夢にあふれているような気がします。
    夢を語りたい。そして夢は叶えたいのです。
    もう一度青春!
    心を少女に戻して もう一度心のままに 夢を追いたい気持ちでいっぱいです。

    [戻る]

    「ほしくて手に入らなかったもの」

    (2004・2・29)

    ほしくてほしくてたまらないものは どうにかして手に入れようとします。

    けれど 手に入れようと努力するけれど手に入らないものもあります。
    いえ、きっとそれは努力が足りないのでしょうけれど。

    私がほしくても手に入らなかったもの。
    そのひとつは身長です。
    あと10センチ、いや5センチ、背が高かったら、どんなに人生が変わっていただろう、って よく考えたものです。
    私の身長は152センチしかありません。
    少し前まで152.5センチあったはずなのですが 去年の健康診断で計ったら縮んでいました。(泣)
    それでなくても小さいのに これ以上小さくなったらどうしたらいいでしょうか。
    痩せると身長も縮むことを知りました。(;;)
    これ以上縮んで150センチを切らないようがんばりたいと思います。(さみしい目標)

    私といっしょに仕事をしている職場の先輩は 170センチ身長があります。
    同じ女性でも これだけ身長が違うと見上げるようです。
    そして きっと背の高い人は 私とはいつも見ている世界が違うのかも・・・と考えます。
    高いところは 背伸びをしても見えませんし 筋が違えそうなので 踏み台をもって走ります。

    接客の仕事では 背が低くて得をしている面もあります。
    お客さまを見上げて話すので印象がソフトになるという面があります。

    背の高い低いは その人を印象付ける とても大きな個性のような気がします。
    私は背の高い人にとてもあこがれます

    それから ネットの書き込みを見ても 背の高い人の文章って なんとなくわかります。
    なんとなく私は そんなことを感じてしまいます。不思議です。

    背が低い私はハイヒールが好き。
    やっぱり 7センチはヒールがほしいですね。
    それでも160センチにもなりませんが・・・背筋が伸びてしゃきっとして気持ちが引き締まります。
    いつまでもハイヒールが似合う女性に憧れます。
    かっこいい女性が私のあこがれでもあります。

    小さいのも個性。
    ちょっと寂しい気もしますが こんな自分も大切にしたいと思います。

    ほしくても手に入らないものがあるからこそ 
    人生もまた楽しめるものなのかもしれません。

    [戻る]

    「弥生」

    (2004・3・19)

    私は三月に生まれました。そのせいでしょうか、特別に好きな月、それが三月です。
    弥生・・・なんて素敵な響きなのでしょう。やわらかく優しく 心地よい響きです。
    穏やかで暖かな春の陽ざしが そして春のやわらかい風がとてもうれしい季節です。

    けれど三月は淋しさもいっぱいに感じる月です。
    別れの場面をたくさん経験するもの三月が一番多いからです。
    人生は 出逢いと別れのくりかえしですが 「さようなら」という言葉が一番ぴったりとくるのは
    もしかしたら三月なのかもしれません。

    そして私が一番好きな理由の一つは 三月が お別れの場面が多い分
    人との出逢いを心から喜べて しみじみと出逢いに感謝できる月だからだと 私は感じています。

    人は いろいろな出逢いと たくさんの別れをくり返ります。
    振り返る時 胸が苦しくなって 涙がこぼれてしまうこともあります。
    まだ心が通りすぎることが出来ずに そこにある証拠です。

    弱い自分を認め もっと変わるために新しいスタートを切りたいと願います。
    スタートラインに立つためには どこか自分の中でゴールのテープを切らなければならないのですね。
    三月は自分の中で 結論を出さなければならない月のような気もします。
    厳しい現実と向き合う月でもあります。

    この時期になると 妙に身の周りの整理をしたくなります。
    旅立たなくては!・・・そんな思いにかられます。荷造りをしたくなります。

    自分の中で ばんざいをしてゴールのテープを切れたらうれしい。
    そして希望に胸をふくらませて旅立ちの時を迎えたい。


    今年の桜の開花は早くて
    もう福岡では 桜の花が咲いたと 昨日の新聞に出ていました。
    華やかな季節がまたやってきます。
    私の住んでいる町も きっともうすぐです。

    季節は駆け足で通り過ぎますが 
    旅立ちの場面には 薄紅色のはなびらをいっぱいに散らしたい。

    立ち止まりふり返る三月。
    さみしさもあるけれど 私が一番好きな月です。

    [戻る]

    「最近やっと好きになれたもの」

    (2004・5・26)

    最近 やっと好きになれたもの。
    それは自分の名前です。
    「のりえ」という名前が小さい頃から好きになれなかった。
    のり、なんて まるで食べるものか くっつけるものみたい。全然イケてない・・・・

    しかも漢字で書くと堅苦しくてちっとも女らしくない。
    小学生の頃の私には自分の名前を書くのが難しく 
    テストの時間などは 自分の名前を書くのに時間がかかってしまいいやだった。
    姓も名前も字画が多くて いつも名前の欄からはみ出してしまう。
    それに、女の子なんだからもっとかわいくて女らしい名前に出来なかったのか・・・と いつも思っていました。

    たとえば・・・「けいこ」とか「じゅんこ」とか「あや」とか・・・
    そういう優しくて女らしい響きにあこがれたものです。
    「のりちゃん」なんて ちっとも女らしくない。
    人間 イメージが大事よ〜〜〜っ!こんな名まえじぁ〜〜〜っ!、
    ・・・などと 叫びたい気持ちでいっぱいの少女時代でした。

    少し希望が見えてきたのは 松田聖子さんが出てこられたときからです。
    彼女の本名が 「のりこ」さんと知ったときはうれしかったなぁ。
    わぁ 聖子ちゃんもほんとは「のりちゃん」なんだわ〜〜っ。
    私と同じだぁ〜〜〜っ。(ささやかなしあわせ)


    今 やっと自分の名前が好きになれました。
    最近苗字より 名前で人から呼んでいただくことのほうが多いせいかもしれません。
    名前で呼んでもらえるというのは とてもうれしいことですね。

    「のりちゃん」って言っていただけると とてもうれしい。
    けっこう親しみやすい いい名前のような気がしてきました。(笑)
    「のり」って呼んでいただけても とてもうれしいです!

    自分の名前が好きになれて そして自分も好きになれたらうれしいですね。

    今は 個性の時代になりいろんな名前があります。
    私は進物の仕事で 命名札に名前を書かせていただくことがよくあるのですが
    読みがなをつけていないと とても読めない名前もよくあります。
    男の子か女の子かわからないような名前も・・・・。
    でも親は一生懸命考えて その子の幸せを祈りながら名前を決めるのですよね。

    自分の名前に感謝して大切にしていきたい。そんなことをしみじみと感じています。

    [戻る]

    「なりたい自分になれるかどうか」

    (2004・7・9)

    今の自分に満足できている人が この世の中にどれだけいるかわかりませんが
    なかなか今の自分に満足できないものです。
    自分の理想と現実がかけ離れると 自己嫌悪に陥り
    自信もなくなってきて だんだんと自分を好きでもいられなくなります。

    思い描く理想の自分に近づきたいと そればかりを考えていると ますます遠ざかっていくような気がします。
    もっと変わりたい、もっと自分に自信を持ちたい もっと自分を好きになりたいと
    癒しになる言葉や 自分を好きになるための救いの言葉を求めて 本もたくさん読みあさりますが
    いくら「あなたはあなたののままでいい」、と書いてあっても
    自分にはそうは思えないので その言葉は頭の上をただ通りすぎていくばかりです。
    ますます自分の中で「私はこのままではいけない」という思いがあふれてしまいます。

    よく人にも訊かれるのですが 
    どうしてこんなにダイエットができたのだろう?と自分でも考える時があります。
    ずっと痩せれなかった自分が10数キロも痩せられたということが 
    自分でもとてもとても不思議に思えることがあります。

    体が変わる時というのは 自分の中に大きな変化がおきていることなのだなぁ、と実感します。
    変わるために行動を起こすのではなく 行動を起こした結果、
    自分の体も変わっていくのだなぁ・・・・、と。
    内面が変わった結果 体も変化したのだと。

    いつまでも夢を持ち 夢に向かって走っていられれば幸せです。
    やりたいことをただ一生懸命に 自分の持てる力で精一杯に取り組んでいられれば
    きっとなりたい自分へと近づいているんだろうなぁ・・・と思うようになりました。

    夢中が一番いいような気がします。
    そして日々勉強です。

    [戻る]

    「夾竹桃の影」

    (2004・8・01)

    街のあちこちで 夾竹桃の花が咲く季節になりました。
    夾竹桃の花を見ると 幼い頃の心が甦ります。遠い記憶が呼び戻される気がします。
    私にとって 夾竹桃は 幼い日の淋しさと不安の象徴のようです。
    懐かしさとともに 言葉にできないほどの淋しさが甦ります。
    なんだかどうしようもなく泣きたくなります。

    今はもう空き地になってしまっている私の実家の隣には 
    小学校の校長先生と奥様が住んでいらっしゃいました。
    幼い頃は 近所の幼なじみの女の子と 遊びに行かせていただいた記憶があります。
    引っ越して行かれ 家も庭も あとかたもなくなくなりました。
    懐かしい先生や奥様のお顔も もう思い出すこともできません。。

    思い出すのは 庭に植えてあった夾竹桃の花だけです。
    2階の私の部屋の南の窓からは いつも夾竹桃が見えていました。
    嵐など来ると 夾竹桃が狂ったように揺れて 街頭に照らされたその影が 
    私の南の窓にカーテン越しに大きく大きく映りました。
    まるで襲い来るような とても恐ろしい影でした。

    幼い日々は どこかいつも不安で淋しくて 孤独をいつも感じていました。
    わがままは言えたことがありません。いつも大人の顔色をうかがいました。
    いつもいい子でいなくてはと 自分に言い聞かせました。
    12畳近くある広い一人の部屋で 幼いながら生きることの意味を考えました。
    母親の優しさが何より心の支えでしたが 家族のため、母はあまりに忙しすぎました。
    私は母が大好きで 母のそばにいる時が一番幸せでした。
    けれど母にはりついていたくても それもなかなかできませんでした。

    私の部屋の窓から見渡すと 夾竹桃の花が見えていました。
    あの日の不安やさみしさを 夾竹桃の花を見るとなぜか思い出します。

    記憶の中にしかない あの日の自分がそこに立っているような気がします。
    それはとても切ないけれど 大切な記憶のような気がします。
    幼いなりに一生懸命生きていたような気がします。

    [戻る]

    「次、行ってみよーーっ!!」

    (2004・10・15)

    「次、いってみよーーっ」

    缶コーヒーのCMで かわいい加藤あいちゃんが このひと言。
    最近 いいなぁ〜、って思う言葉です。
    なんだかとてもほほえましく なぜかほっとできます。

    昔 ドリフターズの全員集合で いかりや長介さんがいつも言っていたのでしたっけ・・・。
    この言葉で がらりと場面が変わり・・・面白いシーンがまた始まるのでした。
    それもあってか この言葉を聴くと 心がほぐれていく感じがします。

    育った家庭環境もありますが 小さい頃から人の顔色を見ながら大きくなってしまいました。
    とてもまわりに対して敏感で 少しの人の顔色の変化も見逃せない子供でした。
    伸び伸びとは ほど遠かったように思います。
    親もとても気が小さかったので その子供の私が どーーんと構えていられるわけがありません。
    今でもどうしても敏感に感じてしまいますし 反応してしまいます。
    小さいことも気になり なかなか進めなくなり、自己嫌悪・・・です。

    そんなときの魔法の言葉、「次、いってみよーーっ」
    肩の力が抜け元気が出ます。考え込んでうずくまってしまいそうなとき
    自分で自分の背中を押してあげることが出来る言葉です。
    心が軽くなるような気がします。

    考え込むのはやめて 「さあ!!次、いってみよ〜〜〜〜っ!!」
    心の中で叫びつつ 勢いをつけて・・・今日も少しでも前進です。(^^)

    [戻る]

    「祈り」

    (2005・1・17)

    今日は阪神・淡路大震災から10年になる日です。
    10年前のあの衝撃は 今も忘れられません。

    震災から10年 どれだけの苦しみと悲しみを乗り越えられてきたことでしょう。
    被災地の方々がどんな思いで今日まで生きてこられたのかと考える時 本当に言葉もみつかりません。
    愛するものを何も失ったことがない私には この悲しみは想像もつかないほどに大きく厳しいものです。

    今朝の朝刊を開いたら 一面「1.17宣言」という文字が目に飛び込んできました。
    その文章を読んでいて この10年間を 被災地の人々がどんなに頑張ってこられたかを想う時
    本当に胸が熱くなりました。

    一瞬で すべでを失うことの恐ろしさ。
    愛する家族も 家をなくし 友をなくし 街も 平穏な日常もなくし
    何もかも失い
    けれど
    そんな想像も出来ないほどの悲しみのどん底から
    立ち上がり がんばって来られた方々。 

    そこにあったのは どんなときも励ましあい支えあう温かい人の心だったのですね。 
    胸がいっぱいになります。


    私は昨日 広島の街へ行きました。
    平和公園に立ち 祈りの像を静かに見上げました。

    広島の街が こんなにすてきなのは
    何もかも失ったところから みんなが心をひとつにして
    励ましあい支えあい いたわりあって
    この街を愛し 人を愛し 一生懸命に生きてこられたからこそだと気づかされました。

    祈りの像を前に 祈ることの大切さを想いました。
    みんなが幸せでありますように・・・
    今日も平和でありますように・・・・

    生きる喜びをかみしめる感謝の気持から
    祈りが生まれるような気がします
    そして祈りの中から 自分の夢が現実にする力が生まれてくるのでは・・と
    今日はしみじみと考えました。

    大切なことを今日 しみじみと心に刻んだ想いです。

    [戻る]

    「ふるさと」

    (2005・08.11)

    今年はめずらしく母の日に田舎に帰ることが出来ました。
    ばたばたと忙しかったので 今日やっとあの日の写真を整理しながら
    しみじみと懐かしいふるさとを想いました。

    いつも田舎に帰ったときは自分の実家に泊まることはなく 主人の実家に泊まります。
    限られた時間の中ではのんびりと 実家で過ごすこともできませんが 
    それでも母の顔を見るだけでほっとして幸せな気持ちになります。
    言葉がなくても 顔を見ただけですべてが通じるような気がするのです。

    年に数回帰るのが精一杯ですが 離れていてもいつも優しい母の笑顔を思い出します。
    思い出す時 いつも母のぬくもりまで感じられるような気がします。

    それはきっと 
    いつもいつも母が私を抱きしめて育ててくれたからだと 
    今にして気づくのです。
    たくさんたくさん抱きしめてもらえたんだな〜〜、
    そう感じると とても胸が熱くなります。

    こんな小さな町から一生出られないだろうと思っていた私が
    ふるさとを離れてもう十数年。

    なかなか帰ることもできない私ですが
    帰るたびに ふるさとの山も川の変わりなく
    静かに穏やかに迎えてくれます。

    「おかえり〜〜」という声が聴こえてくるようです。
    どんなことも 静かに微笑んで聴いてくれそうな気がします。
    話したいことはいっぱいあって・・・・ 
    でもきっと話さなくても 
    「みんなわかっているよ。大丈夫だよ。」って
    頭を撫でてもらえるような感じがします。

    もうすぐ 蛍が舞う季節になります。
    お祭りももうすぐです。

    帰りたいふるさとはいつもこの胸の中に。
    思い浮かべるふるさとの景色は
    今日もとてもとても穏やかです。
                     

    [戻る]

    「父」

    (2005・08・11)

    お盆も近づいて 心は父や母のいるふるさとへと飛んでいくようです。
    最近しみじみと 父のことを考えます。

    私は誰よりも父親の愛情に飢えていたような気がします。
    私の父は とても厳しい人でした。
    生活における全てを 父は支配し規制しました。
    いつも我慢することが当たり前の毎日でした。

    だっこしてもらったり手をつないでもらったりという記憶もありません。
    愛情表現ができない父だったので 私は父に甘えることができませんでした。
    無口で眼鏡の下から光る目がこわくて いつも父親の顔色をうかがっていました。
    父がこわくてどうしようもありませんでした。
    見たいテレビも我慢して 欲しいものも買って、とも言えず
    歯向かったことも わがのままを言ったこともありません。

    冗談を言うと
    「そんなくだらない事を言うものではない」と叱られました。
    毎日が緊張の中にあって
    唯一 母の存在だけが私には安心できる場所でした。

    男の人はみんなこんなに怖いものなのだ・・・と思い
    男の人にどう接していいかもわかりませんでした。

    そんな父も もう80歳になりました。
    年に数えるほどしか田舎には帰れませんが 
    帰る度に父がとっても小さくなっていくようです。
    あの頃の厳しい父の面影はなく
    今は私の顔を見るだけで喜んでくれる父がうれしい。

    厳しく スキンシップもない父でしたが
    私が見たくて見たくてどうしようもなかった野口五郎さんのコンサートに
    バイクの後ろに私を乗せて連れて行ってくれました。
    そんな父との思い出にずっと私は支えられました。

    結婚する前には高熱でうなされる私に
    朝までそばにいて頭のタオルを変えてくれた父。
    父親の愛情にふれ 
    驚きとともに愛されて生きてきた事を実感し感謝しました。

    「のりか〜。帰ったか〜〜。」
    うれしそうな父の声が聴こえてくるような気がします。
    今年のお盆も帰れませんが
    心だけは ふるさとへと帰っていきます。

    「お父さんいつまでも元気でいてください。」

    [戻る]

    「花の香り」

    (2005・11・01)

    秋が深まり 金木犀の甘い香りが立ち込めています。
    金木犀の甘い花の香りは 幼い頃からの想い出もすべて包み込むように
    優しさに満ち、秋という季節が深まったことを私に教えてくれます。
    目には見えなくても 甘い香りが風に乗り
    今年もいっぱいに花が咲いたことを知らせてくれます。
    穏やかな秋が 香りとともに訪れるのです。

    私は香りのある花が好き。
    神さまがくれた幸せな甘い香り、
    花の香りはずっと変わらずに 
    季節を教えてくれるように やさしく咲いて
    香りとともに思い出も甦らせます。
    花にひたむきさを感じて 愛おしく思えるのも
    ずっと変わらない香りを この身体が憶えていていることもあるのでしょう。

    人は いつも自由で
    香りも変えて
    心も変えてしまいます。
    それはとても自由で 素敵なことだけれど
    どこかさびしいことでもあります。

    かつて好きだった人のつけていた香りは
    不思議と憶えているもので
    同じ香りのする人とすれ違ったりすると
    はっとして立ち止まって動けなくなってしまう。

    想い出は香りの中にも生きているものですね。

    だから私は香りは変えないでいたいと思います。
    私が使う香りは ずっと変わりません。
    目に見えないものだから 
    身体で感じるものだから
    だから香りは大切にしたい。

    最近気持ちの余裕がなくなって
    こんな大切なことも忘れがちでした。

    金木犀の花が風に乗せて私に教えてくれました。
    いつまでも すてきな香りのする女性でいれたらと想います。

    目に見えないものだからこそ こだわって生きれたら幸せです
    変わらない花のように。

    [戻る]

    「人生に似ている」

    (2006・01・17)

    私の趣味はレース編みなのですが、
    レース編みの魅力は 
    レース糸と針があれば他に道具がいらないこと
    どこでも編めて 作る喜びがあり楽しい、
    そしてとても上品で美しく優雅である、ということです。
    私がレース編みを心から愛する理由もそこにありますが
    とにかく編むのが楽しい。
    完成したときの喜びには
    長い時間の作業の疲れも吹き飛びます。

    しかし・・大きな声では言えないのですが
    実は去年の今頃から編んでいてまだ完成していない作品があるのです。
    時間を見つけてひたすら編むのですが
    あと一段で完成〜〜〜っ!!
    半分ばんさーーいという気持ちで最後の締めの段を編んでいると
    「???」
    編み目が合わない〜〜〜っ!!(泣)

    間違いを探してさかのぼったら かなりほどくようになり
    また振り出しに戻ってやり直しということがあります。
    というか・・何度もあって いまだに完成していません。(悲)

    最後の最後に間違いに気づく。
    それはどこか人生に似ているなぁ・・・って思いながら また最近も編んでいます。
    もう今年こそは完成させたい。

    レース編みにもいろいろとあって すてきなモチーフをつないで行く方法もあります。
    人生も 自分の実力を知るならば 
    一気に大きなことを・・・と無理をせずに
    小さくても それぞれが完成したモチーフを つないで大きくしていく・・・。
    そんな作業も人生を手堅く生きるためには必要なことかもしれません。

    1年経っても完成しないレースのドイリーを前に
    人生を思う今日この頃の私なのでした。
    あともう少し!
    がんばって完成させます。

    [戻る]

    「順番」

    (2006・3・22)

    春は出逢いと別れの季節。
    卒業、進級、入学と 子供達も出逢いと別れを経験します。
    社会に出れば 職場では転勤の季節。
    私の職場でも上司の移動があり 昨日送別会に行ってきました。

    いつも思うのは
    もっといっしょにいたいと思う人ほど
    なぜかお別れの時期が早いのはどうしてなのでしょう。
    自分の人生を振り返り しみじみといつも思ってしまいます。

    すぐに転勤してしまう人、ずっと変わらない人、色々ですが
    たとえ束の間であったとしても知り合えたことに感謝したいと想います。

    昨日は違う課の男性社員とお話する機会がありました。
    その方は40代後半なのですが奥様は18歳も年下なのだそうです。
    "うーーん こんなに年下の女性と結婚だなんて・・・どっかで聞いた〜〜っ"、
    などと思ってしまったのですが
    結婚するときは まわりからは「犯罪だーー」、などと言われたそうです。
    でも年の差などまるで気にならないし とても自然なことだったし
    これが縁というものなんだと話されていました。
    愛とは そういうものなのかもしれません。
    愛には年齢なんてないのですね。
    聴き入ってしまいました。

    そしてその人が言われた言葉に私はびっくりしましたし、とても感動しました。

    順番にいけば 18歳も年上の私の方が彼女を残して先に逝ってしまうだろう。
    それが自分は かわいそうでたまらない。
    そのことを思うと 私は彼女のためにできるだけのことをしてあげたい。
    先に逝けるほうは幸せだ。
    残される者はとても悲しい。
    だから私は 自分にできることは全部してあげたいと思う、と。

    私はこんなこと考えたこともなかった・・・・

    人を慈しみ 思いやるということはこういうことなんだな。
    自分がいなくなった後のことまで相手のことを考えてあげられることなんだな〜〜。
    まだまだ私は何もわかっていないんだな・・・・
    しんみり。

    人生って深いです。
    人生の先輩の経験からくる言葉には いつも感動。
    無我夢中で走るだけの日々から
    少しずつ変わっていけたらと思う今日の私です。

    [戻る]

    「姉」

    (2006・08・22)

    私は二人姉妹の下のほうなのですが 私の姉は6歳年上でいつも私のあこがれでした。
    姉が聴く音楽は片っ端から聴きましたし 読んでいる本はやっぱり読まずにはいられませんでした。
    姉がいない時間に 姉の書いた絵や詩を隠れて見ていました。
    なんて大人なんだろう。私も姉に追いつきたい。同じレベルでいっしょに話しがしたい。
    でも6歳という年の差はあまりにも大きく 追いつけないものでまったく相手にもなりませんでした。
    それでも私はいつも姉の姿を追いかけていました。

    やっと小学校に上がったーーっ、と思えば姉は中学生になってしまいました。
    やっと中学生になったぞーっ!、と思えば 姉は就職して 家を出ていってしまいました。

    時々帰ってくる姉といっしょに歩けることが なによりうれしかったことを想い出します。
    私の姉は 私とは違って日本人形のように雰囲気があり
    地元の写真館にもずっと姉の写真が飾られていました。
    クールで独特の雰囲気があり 同じ姉妹でも こんなに違うのかと思うほどでした。

    私が高校生の時 姉はお見合いをして21歳で結婚しました。
    両親を想い 長女としての責任をいつも感じていた姉でした。

    私の生き方を見るたびに姉は
    「あんたわね〜〜〜っ」と 呆れたように言われてしまいます。
    何が応えるって 姉の言葉が一番骨身に応えます。
    「もう のりちゃんは〜。」逢って話す機会もなかなかないのですが
    少し話しをすると こんな厳しい言葉を聴かないといけません。
    忘れていた過去のことも言われ "えっそんなこともあったっけ?"(汗)
    もうこうなったら笑うしかないと いつも笑い飛ばして 私は
    「お姉ちゃんごめんなさい〜〜っ」
    でもキツイのですがとても情が深く優しい姉なのです。

    私としては 大真面目に生きてきたつもりだったのですが
    よく考えてみると 家族にも甘えてばかりで
    いつも守られて 何も背負わずに 
    奔放に生きてきたことを今頃になって痛感します

    考えてみると 姉ともゆっくりと話したことがありません。
    いつか姉といっしょに旅行でもしたいな〜っ
    でも一晩中 説教されたらどうしよっ

    私にとって姉の存在は大きいです。
    姉妹って やっぱりいいな!
    大切したいです。
    今しみじみと。

    [戻る]

    「長男」

    (2006・9・17)

    また一人の生活へと戻って行く
    息子を新幹線まで見送りました
     
    いつかは私たちのもとを離れ
    独立していくのだから
    いつまでも子ども扱いせずにと
    自分に言い聞かせますが
    さみしくて子離れできない自分自身がいます。
     
    小さい頃からいつも この子に助けられてきたことを思うと
    いつも胸が熱くなります。

    この子が1歳にならない頃
    私たちは主人の転職で千葉へと転居しました。
    正直 私は生まれ育った街を出る日が来るなど
    考えたこともありませんでした。

    知らない街での生活
    やがて
    年子の子育てに追われ
    何をどうしていいのかわからずに
    いつも泣きたかったですし必死でした。

    長男のこの子は
    いつもこんな私のことを
    じっとそばで待っていてくれました。
     
    下の子が寝ている間は
    この子を負ぶって夕暮れの街を散歩しました。
    「赤とんぼ」を息子に歌って聴かせながら空を見上げると
    私も「おかあさ〜〜ん」と泣きたくなり
    帰りたくて帰りたくてどうしようもなくて いつも涙がこぼれていました。

    それでも私も母になったのだから
    私も母から愛情を受けたように
    息子たちに愛情を注がなくては
    泣いてはいられないんだといつも自分に言い聞かせました。
     
    「お兄ちゃんでしょ」という言葉は
    絶対に使ってはいけないと思いましたし 使いませんでした。
    この子にさみしい思いをさせたくなかった。
    我慢をさせてはいけないと必死でした。
     
    けれど今思うと 
    やっぱりこの子はいつも我慢していてくれたのだなぁ、って想います。
    そう思うとどうしようもなく胸が熱くなり
    「ありがとう」という気持ちでいっぱいになるのです。
     
    この子だったからこそ
    私は年子でも子育てができたのだと思うのです。

    穏かでやさしい息子にいつも支えられてきたことを
    今日もまた想い涙がこぼれます。

    春に一人暮らしをはじめる時
    岡山に息子を置いて家路に向かう高速道路では
    車の中でずっと涙が止まらなくて主人に笑われました。
    でもこの時 初めて自分の母が
    どんな気持ちで私を出してくれたのかが
    やっとわかったような気がしました。

    愛は受け継がれていくものだと
    今しみじみと思っています。

    もうすぐ岡山に着くでしょうか。
    ちゃんとごはんを食べて そして勉強して
    健康で充実した日々すごしてくれることを
    母は祈っています。
    [戻る]

    「次男」

    (2006・9・30)

    おかげさまで 次男の就職が内定しました。
    長男は大学に行っているのに 次男は就職というのも親としては気が引けましたし迷いましたが
    この子の 性格や適正 そしてこれからのことを考えると 
    いいところがあれば 就職させることがベストだと考えました。
    ありがたいことに地元のしっかりとした企業の内定をいただくことができました。

    今通っている高校はとても先生方が熱心で 息子のことも本当に熱心に指導していただけました。
    息子にとっては ちょっと難しいかなぁ と思える会社だっただけに
    内定のお電話をいただいた時は 本当に泣けてしまいました。
    よくがんばったと 褒めてやりたいです。

    この子の子育ては 挫折の連続でした。
    まず 哺乳瓶がはずせない。
    哺乳瓶がないと寝てくれない。
    なんとかやめさせなくてはと 気を紛らわせるために 
    息子を抱いて夜中外に出て散歩することもしょっちゅうでした。
    なかなか哺乳瓶がはずせなかっために 歯はボロボロになって 
    こんな小さい息子を ネット貼りつけにして虫歯の治療をしてもらうありさま。
    ネットで縛られての治療をされる姿を見たときは
    正直あまりのショックに私は母親失格だと自分を責めました。

    見知らぬ土地で しかも年子で
    その上 チャレンジャーな主人の転職は続き
    長男が4歳になるまでに3回も住む場所が変わり
    子育てと荷造りに追われる日。毎日が嵐。
    もう 無我夢中の日々。

    次男は3歳になっても あまりしゃべってくれない。
    大丈夫なのだろうか、と
    とてもとても不安になって 育児相談にも行ったこともあります。

    幼稚園では連れて行くと 門のところでただただ大泣きする。
    毎日毎日 門の前で泣く顔ぶれはいつも同じ。
    本当に親も泣きたい気持ちでした。

    気がつくとなにもかも左手で掴んでいる。
    鉛筆を持たせると 右手で持ってくれない。
    右手で書かせようとするのですが 左手で書く。
    「無理やり矯正してはいけない。両方を使えるようにすればいいのです。」、と
    人生の先輩に励まされ がんばってみるのだけれど
    どうしても左手しか使えない。
    結局 矯正もできず 左手で通してしまいました。
    (今聞くと、最近では習字は 右手で書いていたらしいです)

    考えてみれば 親としての自分の至らなさを実感する日々でした。

    でも 子育ては楽しかったなぁ〜
    年子の息子二人つれて 昆虫取り、砂場遊び
    夏のプール シャボン玉、仮面ライダーのビデオ・・・・
    私の人生のうちで一番夢中で遊んだ時代です。

    この子がいてくれると本当に楽しい。
    笑顔を見ると すごくうれしい。
    いてくれるだけでとても幸せ。

    学校の先生にも とてもよくしていただきました。
    この子のことはみんなが覚えていてくれる。
    とても可愛がっていただけました。

    そしてそれを思うと 
    やっぱり長男のことを抱きしめてやりたい。
    この子がお兄ちゃんだったからこそ こんな私にも子育てができたのです。

    私が息子たちを育てたのではない。
    私が息子たちに育てられたのだとしみじみと想います。

    長男、次男 全然違って どっちもいい。
    母はいつまでたってもこんなですが
    いつもいつも感謝しています。
    「ありがとう。」

    [戻る]

    「母より」

    (2008・2・29)

    数日前 母から小さな小包が届いた。
    何かと開けてみたら ダイヤの入った素敵な指輪だった。

    「のりちゃん
     この度は本当におめでとう・
     きれいに美しく
     人生おすごし下さい。
           母より。」

    というメッセージとともに。
    日舞の名取りになったことをとても喜んでくれている。

    お母さん こんなにいいものを買って大丈夫なのかな〜っ
    また近所の仲良しの宝石店の奥さんに いっぱいおだてられて(笑)
    その気になって買っちゃったのかも、って
    娘としては心配になるけれど
    私のために母が こうして贈ってくれた指輪だから
    ずっとずっと大事にしたい。

    私は母が大好きでいつも母の背中を見て生きてきた。
    いつも母に愛されている安心感の中生きてきた。

    誰もわかってくれなくても
    母だけはすべて受け入れて抱きしめてくれるという安心感。

    母から生まれてきたということがなによりの幸せ。
    生まれてきた時から 間違いなく私は誰より幸せな人生だ。

    優しく楽しい母が いつもパワーを送ってくれる。

    「お母さん ありがとう。
    美しい人生をめざしてがんばるからね。
    大好きなお母さん。
    うれしい。
    これからも見守っていてね。」

    [戻る]

    「お母さんの言葉」

    (2008・7・26)

    電話口でお母さんが優しい声で語りかける。

    「のりちゃんは賢いのだからね。

     ええかね。
     しっかりと 迷わずに がんばらんといけんよ。

     お母さんももう先が長くないからね。

     いつ死ぬかわかないし
     最近は家の周りの片付けをしよるんよ。
     
     のりちゃん 頼んだよ。」

    お母さん・・・

    お母さん
    お母さん。

    私の大好きなお母さん。


    [戻る]

    「からーん ころーん からんからん ころん♪」

    (2009・2・26)

    私はいつも記念切手を買いに郵便局にいきます。
    そして郵便局の近くにある氏神さまにお参りするのが 私のお決まりのコースです。

    今日も郵便局に行ったら 「ゲゲゲの鬼太郎」の記念切手があったので買ってきました。
    「ゲゲゲの鬼太郎」というと 私がまず思い出すのは エンディングの歌です。

    「からーん ころーん からんからん ころん」

    幼いながら このエンディングの歌がなんとも さみして
    いつも泣きそうな気持ちで見ていました。
    さみしくてさみしくて 人恋しくて
    とても孤独を感じながら見ていました。

    どうしてだろう・・と 考えたのですが
    きっと 母親が恋しかったのだと思います。

    私の母は 郵便局間の荷物を運ぶ逓送の仕事を請けおっていました。
    雨の日も風の日も台風の日も雪が降り積もる日も
    休むことなく働いていました。
    今考えると とても女性ができるお仕事ではなかった。
    本当に家族を守るために必死で生きてきた人です。
    私は 母を尊敬しています。

    朝は7時前には出かけ
    夜は7時過ぎに帰るという日々。

    朝起きたら 母の姿はありません。
    私がどんなに具合が悪く 熱が出ても
    母は私を残して仕事に行かなければならなかったのです。
    父は 厳しくて怖くて 甘えさせてもらえなかった。
    学校から帰っても 母の姿はなく
    私はいつも だれもいない家に一人。

    そんな中で
    私はいつも とてもさみしくて
    いつも母が恋しくてたまらなかったように思います。

    そしてその思いはずっと今でも続いているのです。
    いつもお母さんのそばにいたい。
    お母さんのそばに帰りたいと願うけれど
    神様は なぜかそれを許してはくださいません。
    どんなに望んでもどんなに祈っても 
    神様が許してくださらないことが
    人生にはいくつもあることを知るとき
    生きることの意味を考えます。

    人生は 自分の意思とはまったく関係ないところで
    大きく動いている。
    自分に与えられた宿命なのでしょうか。
    人生の嵐も 悲しみも すべて味わいました。

    「からーん ころーん からんからん ころん」
    幼い心に 深く響いた
    この歌とともに
    幼い日の自分が甦りました。

    今年は 母によろこんでもらえることを
    いっぱいしたいと思っています。
    [戻る]

    「二人姉妹」

    (2009・4・03)

    前にも書きましたが 私の姉は私より6歳年上で 
    二人姉妹なのですが 年が離れていたということもあり
    いろんな意味で憧れでしたし
    いつも姉に守られていたということを実感します。

    私は何も背負わず
    いつも想いのまま奔放に生きて
    まわりの人に心配をかけ
    常に両親や姉に守ってもらって
    甘えっぱなしで生きてきたということに
    気がついたのは 本当に 最近のこと。

    気がつくのが遅かったのですが
    気がつくような人生の転機もあり
    哀しみも痛みも知れたことは
    自分にとってはよかったのかもしれません。

    姉はいつも私の顔を見るたびに
    「ほんとうに のりちゃんはもう〜っ」って
    叱られてばかりなので
    姉がこわくてたまらないのですが
    両親のそばに 姉がいてくれるから
    私はいつも安心しています。

    私の人生の救いは
    今も両親が元気にしていてくれること。
    いつも 父と母がわたしを誇りにしてくれて
    いつもどんな時も受けとめてくれて
    私に「がんばれ」、って言ってくれることが
    本当に大きいのです。


    命にも限りがあることを想うと
    両親のためにも
    もっとしっかりしかくてはと いつも自分に言い聞かせます。
    そして 両親が喜んでくれることをしていきたいと思います。

    姉と電話で話しているとき
    「お姉ちゃん 
    もしも この世で お姉ちゃんと二人だけになった時にはね、
     私ね、お姉ちゃんに聴いてもらいたいことがあるの・・・・」
    そう言うと
    「やだやだ〜〜っ! 聴きたくないっ。
     あんたの話は聴きたくないっ。
     絶対聴かないからねっ!!」
    って言われてしまいました。

    そうだよね お姉ちゃん。

    女も黙って ひとすじの 
    まことの道を一心に
    花も嵐も踏み越えて
    ただ進むことだけを願いましょう。

    お姉ちゃん見ていてね。

    [戻る]

    「夢叶う」

    (2010・12・23)

    昔 まだ小学生の時。
    隣のお宅には 日本舞踊のお師匠さんがいらして
    いつも三味線の音が聞こえていました。
    私の同級生も習われていて
    私はとてもあこがれていたのですが
    母は私の気持ちをわかってくれていたのでしょう。
    日舞のお稽古に行かせてくれました。
    本当に なによりうれしい思い出です。

    浴衣と帯などを風呂敷に包んで
    お隣のお宅の 2階のお稽古場に行って 自分で着替え
    他の方のお稽古でお勉強させていただきながら
    自分の番を待つ。
    まずは きちんとご挨拶からです。
    子供心に緊張感が走り どきどきしたものです。

    お祭りで踊らせていただけるときや
    舞初めの時の うれしくて誇らしい気持ち、
    踊りがどうこうより 着物を着せていただけて
    お化粧までしていただいて 
    そしてきれいにしていただけることが
    なんだか大人になったようで
    何より嬉しかったことを記憶しています。

    あの頃は 
    こんな風に踊りのお師匠さんになれたらいいのになぁ・・・
    本当にすてきだなぁ・・・と 子供心に思ったのですが
    中学に入ると いろいろと忙しくなり辞めてしまいました。
    他の方たちも 小学生まで、と いう感じでした。

    時は流れ 子育てがひと段落したとき
    どうしようもなく日本舞踊を習いたくて
    また 日舞を始めたのですが
    それから15年近くになります。

    おかげさまで2008年に名取りになれ
    今年の11月 有難いことに 師範の免状をいただけました。

    あまりにも恵まれていて しみじみ 
    なんて自分は運がいいのだろう、って思う。

    そうだ
    あの頃 小学生の自分が夢見たこと
    こうしてちゃんと叶ってる・・・

    あぁなんて なんて私は幸せなのだろう、って想います。
    そばにいてくださる 素晴らしい師匠がいてくださればこそと
    心から感謝しています。


    そして 私の母が 「のりちゃんがんばりなさい」と
    いつも応援してくれます。
    精神的にも 経済的にも母の援助があることが
    本当にうれしい。
    母がこうして そばで応援してくれるから頑張れたように想います。

    今年も色々とあったけれど・・・・
    必死でただ動き続け 苦しかった一年でしたけれど・・・


    やりたいことはすべて出来ました。
    すごいことだと ただ感謝です。
    天の恵みを感じずにはいられません・

    そして今年も そばにいて欲しい人が
    いつも自分のそばにいてくださった嬉しい一年です。

    しみじみと 幸せをかみしめています。

    天の恵み 師や親や
    そばにいてくださる友への恩
    忘れずにいたいです。

    やっぱり幸せな一年でした。
    感謝せずにはいられません。

    これからの夢は
    人を育てたい、ということです。
    まだまだ勉強です。 がんばります。

    [戻る]

    「最期の言葉」

    (2011・8・26)

    義母が5月1日に亡くなって
    4ヶ月経とうとしています。
    でも私は いつも 義母のことを思い出します。

    義母は強く 負けず嫌いの性格でしたけれど
    内面は傷つきやすく繊細であったように思います。
    入院している間は 義母は自分の人生を
    いろいろと私に語ってくれました。

    本当に人間が潔癖で まっすぐな人でした。

    私は 精一杯義母の人生をわかってあげたと思えましたし
    受けとめてあげられたと思っています。
    その胸の痛みを
    一緒に感じることが出来ました。

    去年の8月 肺癌と診断された時には
    もう手術もできない状態でした。
    頑張り屋の義母でしたけれど
    年齢のわりに進行が早く
    抗がん治療もあまり効果なく
    去年の8月に入院してから8ヶ月余りで
    あっという間に天に召されてしまいました。

    あの日 5月1日は日曜日で 
    私は仕事に出ていました。
    前日まで 義母の妹 二人が わが家に泊まりに来てくれて
    お見舞いに連日行ってくれました。
    まだ前日は しっかりとして 妹二人と
    おしゃべりしていた義母でした。
    まだまったく大丈夫と思っていました。

    容態が急変したと主人が職場に迎えに来ました。
    私は仕事をその場で早退させてもらって
    病院へ飛んでいきました。

    着いた時には 酸素マスクをつけられ
    もう息も弱々しい状態になっていました。

    ずっと「大丈夫」と言い続けた私でしたので
    もう ひたすら「お母さん大丈夫だからね」って
    その言葉を繰り返し 貫くしかありませんでした。

    義母には もう言葉を話す力もなくなっていました。

    そして あっけなく
    本当にあっという間に 私達を残して逝ってしまいました。

    主人が あの日 最後に言った言葉を
    私に話してくれました。
    昼間 主人と主人の父親とで行ったときの言葉が最後だったと。

    「親らしいことをしてあげられなくてごめんね。
     のりえさんに・・・・・」
    そこまで言って もうしゃべれなくなった。
    最後に おかあさんが のりえさんに、って言ったんだよ、って。
    それが最後の言葉になったと。

    いたらない嫁でしたが
    常に義母の思うとおりに動いていただいたこと
    何もかも親中心でやってきたこと
    そのことは 本当に本当によかったと思っています。

    対照的な性格でしたが 不思議と義母と私は相性が合いました。
    本当に いつも全身全霊で頑張る人でした。
    いつも 守ってもらいました。

    私は 義母に本当に感謝しています。
    そしてうれしいのは最後に私の名前を言ってくれたこと・・

    あとに続く言葉は 私にはちゃんと聴こえているきもちです。
    だから十分なのです。

    「最後に私の名前を呼んでくれて 
     お義母さん 本当にありがとう。」

    しっかりとその心は受け継いでいきます。

    [戻る]

    「父が教えてくれたこと。」
    (2013.8.26)


    五月に私の父が亡くなり
    私は静かに父の死を受けとめましたが
    歌を忘れたカナリアのように
    私は言葉も出ないままに
    数か月来てしまいました。

    ささやかな父の人生を思うとき
    父が亡くなった最初の頃は

    この父の娘なのだから
    私が大きいことなど出来るはずもないなぁ、って
    妙に納得しました。

    でも今思うことは
    実は その向こうに隠されていた悟りで
    大きなことは出来なくても
    ささやかでも 
    十分に幸せな人生がある、
    ということを 父が教えてくれたような気がしています。

    何か必死で大きいことをしなくては
    幸せはやって来ないのではと
    私はいつも必死だったように思います。
    けれど
    本当はそうではなくて
    ささやかな日常の中にも
    余るほどの幸せがある、ということ。
    それに 気づくかどうか、
    人生は それだけのことだのだなぁ、って
    今 すごく感じています。

    私は結婚してから
    ほとんど実家に泊ることはありませんでした。
    互いの実家が近かったからです。
    いつも帰りたくて仕方なかったのですが
    嫁としての立場を常に考えました。

    もう少し 父のそばにいてあげたかったと
    想いはありますが
    母がいつも父のそばにいてくれたから
    私は 本当にいつも安心していました。

    若い頃は こわくて厳しくて
    スキンシップも何も
    してくれなかった父でした。

    けれど年を取り、
    お地蔵さんのように可愛らしく
    小さくなった父が

    「のりちゃん、また帰ってきてね。
    のりが帰らないとさびしいよ」って

    私に言ってくれた言葉が
    今、この胸にいつも響き
    すごく泣きたくなります。

    父は不器用でしたが
    私のことはとても愛してくれました。
    そのことを今になって実感します。

    若い頃は厳しくスキンシップもない父でしたが
    一度だけ

    たった一度だけですが
    父にすがりついて泣いたことがあります。

    その時、父は いい年になった私を抱きしめて
    子供にそうするように
    「おぉおぉよしよし」と
    背中を撫でてくれました。

    私を責めることは
    父は一度もしませんでした。
    いつも私の気持ちをわかっていてくれたと思っています。

    私の人生はいつも大きな嵐の中でした。

    なんとか すべてを自分の責任として
    逃げずに生きてきました。

    そして今 父が亡くなって
    しみじみと悟ったことは

    もう 穏やかで静かな人生で十分だということです。
    父はささやかでも
    誰よりも幸せな一生でした。

    これからの人生は
    穏やかでありたいと
    父の面影を追いながら考えています。

                           
    [戻る]

    「父の一周忌を前に。」
    (2014.3.25)

    私は 母がすべて、と思って生きていました。
    愛情深く、いつも守ってくれる、
    朗らかで大きな母がいてくれることが
    自分の心の支えでした。

    けれど
    父が亡くなって
    しみじみと感じたのは
    子供の人生は
    父親次第である、ということ、
    痛感します。

    自分の中に
    父の遺伝子と母の遺伝子が
    半分ずつ入っているように
    私の人生は
    決して母がすべてではなかった、ということです。

    それどころか
    考えてみると女性という存在はやはり弱いもので
    家族というものを考える時
    どう考えても父親にすべてはかかっている。
    いくら母親が人格者で
    働き者で稼げたとしても
    その家庭のすべては
    父親の存在にかかっている、
    父親の人格、父親の収入、父親の社会的地位、
    そちらの方が子供たちには遥かに影響する、
    私は最近そう思えてならないのです。

    間違っているかもしれませんが
    私が自分の人生を生きて
    父を見送り
    今実感することは そのことです。

    家庭を守るのは男性です。

    ですから 私は息子たちには
    子供の人生は父親次第なのだから
    責任を持たないといけない。
    男には責任があるんだ、と
    言い聞かせています。

    自分が大きなことができるかどうか考える時は
    自分の父親を見れば
    そこに答えがあるように思います。

    私は、父の生き方、父の姿を見ようとせず
    豪快な母の姿ばかり見て
    何かできると思い込んできました。

    けれど 本当は母は
    父に守られて生きてきた女性なのです。

    人生は 死ぬまで本当のことは何もわからないかもしれません。
    けれど親の生き方を見て自分を知らなければなりません。

    しあわせに生きた父は
    立派に家庭を守れたのだと思います。
    そんな父を今一度誇りにして、
    私はこれから母を守って
    ささやかな人生でも
    しっかりと立ち、
    きちんと生きていきたいと思っています。



                           
    [戻る]

    「過去いっさいなし。」
    (2014.08.01)


    「過去いっさいなし」
    この言葉は 私の母のくちぐせでした。
    色々とあっても、過ぎたことにとらわれず
    前に進むしかない。
    よく母は私に話してくれてました。
    「過去いっさいなし、なのよ。のりちゃん。」
    過ぎたこと、起きたことはもうどうにもならない。
    どこかでリセットして 前に進むしかないという気持ちだと思います。

    このような言葉が出る母の人生も
    本当に試練の多い人生であったのだと思います。

    人生は本当に思いもかけない、色々なことが起きるもので
    私の人生は波乱に満ちて
    私の40代は
    生きて地獄の苦しみを味わいました。
    そこから立ち直るために
    必死でもがく日々でしたが
    頑張っても頑張っても何も報われず、
    生きているのが辛く、消えてしまいたい時が
    何度もありました。

    ただただ
    平和を守ることだけで精いっぱいな日々でした。

    こうして平穏な今があることは
    まさに奇跡としか言いようがありません。

    苦しみながらも、大きなことを学びました。
    すべてを自己責任として受けとめています。

    これからは
    自分が本当に人のお役に立ち
    人を幸せにしてあげられる人間になることを
    心から望んでいます。

    そしてそばにいてくださった方たちに
    誇りにしていたたける人間になれるよう、
    日々精進していくのみです。

    しっかりと胸を張って生きていきたいと思います。
    [戻る」
    「私が男として生まれていれば。」
    (2015.03.01)


    私が生まれる時、
    家族はみんな男の子が生まれると信じ、
    大変な期待をしていました。

    産着も男の子用を用意していたのだそうです。

    私には6つ年上の姉がいますが
    当時はまだ 後継ぎとしての 男の子を、と
    強くまわりが望む時代だったのです。

    けれど 女である私が生まれてきた。

    七五三のお宮参りで
    男の子を連れてあるく知り合いを見ると
    父は羨ましくて、
    母に向かって
    「どうして女しか産めないんだ」と
    言ってしまったそうです。

    母は その言葉を受け、
    産婦人科に行って
    「先生、私が悪いんでしょうか」

    すると先生は
    「大根の種を植えて 人参は出てきません。」と。

    よほど悔しかったのか
    母はその話を思い出してはしていました。


    それでも私は みんなに守られて
    大切にされて生きてきましたが
    最近時々考えるのです。

    あの時 私が男で生まれてきていたなら・・・・

    父も母も幸せだっただろうし
    姉もすべてを背負わず
    自由に生きることが出来ただろう。

    そしてわたしの人生を振り返った時
    自分に与えられた試練や苦しみが、
    常に自分が女であるがゆえ、だったことに気づいて、

    男であったなら
    試練は何もなかった・・・と思うとき、

    今さらながら 自分が男に生まれていれば、と
    悔やまれるのです。

    守られて生きるのではなく
    自分がすべてを背負い
    守って生きたかった・・・・・・。

    母のそばで
    母や姉を守って生きたかった。

    男はそんなに甘くないよ、と
    言われてしまいそうですが
    父が亡くなった今、
    私は 時々 そんなことを考えます。

    けれど 
    そうだ、自分は女なんだわ・・・と
    苦笑いしつつ

    せめてこの人生は
    女性として
    きちんと生きなければ、と
    考え直すこの頃の自分です。

    [戻る」

    「世界一」

    (2015・10・08)

    私は 平凡で ささやかな人生を生きていますが
    これだけは世界一だったのではなかろうか、と 思えることがあります。

    何かといいますと 私の車酔いの凄さです。

    幼い頃は 見学旅行などの遠足があると
    前の日からすでに車酔い状態。
    バスのそばに寄っただけで顔面蒼白。
    バスに乗った瞬間から 嘔吐がつくほど
    私は車酔いをしていました。
    そして着いた先では動けない状態になり
    車の中で寝たきり状態。
    帰ってきても3日間は胃液しか出ない状態で吐き続け寝込んでいました。

    そんな状態ですから
    小中高と 修学旅行はすべて諦めました。
    みんなの楽しい修学旅行の思い出の中に、私の存在はありません。
    本当に悲しいことでした。
    けれど 行ったら本当に死んでしまうのではと思っていました。
    それほど私の車酔いはすごかったのです。

    自分は迷惑な存在、とも考えていました。

    そんな私でしたから
    とても夢など持てませんでした。
    やりたいことがあっても どうせ無理だとすぐに諦めました。
    だって どこにも行けないのですから。

    高校も 勤め先も 自宅から徒歩で通える距離。

    高校の時は 学校の先生が 私のことを憐れんでくださり
    16歳になった時 バイクの免許を取ることを許可してくださいました。
    それは 本当に特別待遇でした。
    特別扱いされるほど 「かわいそうな子」、だったのでした。

    母が しみじみと
    「のりちゃんの車酔いは世界一じゃった。」と 振り返り言っていましたが
    社会人になって 小学校の担任の先生にお逢いした時は
    「まだ車酔いしちょってかね!? ひと区間乗っても酔いよっちゃったね〜っ」と
    私の顔を見るなり 第一声、そのことを言われました。


    外に出ていくことも出来ませんでしたが
    外に出ていくことが嫌いでした。

    私はいつも家で静かに
    母の帰りを待っているのが好きでした。

    一生この町を出られないだろうと思っていました。
    そして私は 母のそばでないと いつも不安でたまりませんでした。
    いつも母の近くで生きることを望んでいました。


    人生とは不思議なものです。


    結婚してから 私の人生はガラリと変わりました。
    主人に連れ歩いてもらっているうち
    いつのまにか車酔いもなくなりました。

    結婚してからというもの目まぐるしく環境も変わり
    親のそばを離れ 色んな場所に住んで 今に至ります。
    母のそばにいたくて仕方なかった私でしたが、 
    いつも離れて母を想う人生となりました。

    最近では旅好きの主人に連れられて
    韓国、フランスなどにも行きましたが
    近々、ドイツにも旅行に行きます。

    あの頃の自分では とても考えられないことです。

    人生、終わる時にプラスマイナスゼロ、だと言いますが
    本当にそうなのだろうな〜、と思う日々です。

    これからの人生がどうなっていくのか 本当に予測もつきません。
    充分過ぎるほど 色んな事が次から次へと起きた人生。
    もう 何もなくても良いのです。
    静かで穏やかであることを心から望んでいます。


    [戻る]

    「困ったことに」
    (2016・07・07)

    困ったことに 私は 小さい頃からずっと
    自分の母が恋しくてたまらないのです。

    いつも母のそばにいる姉が私に
    母のことで 嘆き、怒って
    私に聞いてくれと、話すのですが
    私が聴くと どうしてそんなことで
    そんなに怒っているのか
    まったくわからない。

    正直 特にそんなに騒ぐことでもないし
    怒ることでもないと思うのに
    どうしてここまで心を痛め、嘆くのか驚いてしまうのです。

    母のことを話す姉の言葉を聴くと
    すべてが自分に当てはまるように感じ
    耳が痛く、自分が叱られているような気分になってしまうのです。

    そして最近悟ったことは
    私の考え方や物事の捉え方、動き方が
    あまりにも母に似ているからだ、ということを痛感します。

    たぶん 世間一般では
    姉の感覚が普通なのです。

    最近 母のことを語る姉の言葉に
    自分の感覚が
    一般的な感覚から少し外れていることを思い知らされます。

    姉には言いませんが
    私は母の考えとほぼ同じなのです。
    私の中の遺伝子は 母の遺伝子が大きいこと
    それゆえ実感します。

    この六月 母が2週間こちらで過ごしましたが
    何事もなく穏やかで
    静かで満たされた時間を過ごすことができました。

    考え方が同じなものですから
    ものすごくわかりあえるし 安心します。

    また田舎に帰って行きましたが
    私は 母が恋しくてたまりません。

    小さい時からそうで
    どうしてこんなに母が好きなのか困ってしまうくらい
    母が大好きでたまりません。

    何があっても母だけはわかってくれると思っているのです。
    正直 母のそばに帰りたい。
    いつもそんな気持ちが心の中にあるのです。

    こんな状態で もし母がいなくなったら・・・と思うと
    危険な自分です。

    それにしても人生というのは皮肉なもので
    母のそばにいつもいたいと願えば願うほど
    母より遠ざかって行く人生でした。

    母が長生きしてくれることが
    私の切実な願いです。                                                    [戻る]

    「現生は修行の場」

    (2016・11・06)

    私は母が あまりにも穏やかで優しい人であって
    いつも私をを褒めてくれ、誇りにしてくれたため、
    それゆえ根拠のない自信が常にあり
    自信に満ちて 自由な発想で ある意味奔放に生きてきましたが
    常に 親に褒めてもらいたいという気持ちが根底にありました。
    父は むっつりとして厳しい人でしたが 寡黙であり
    今思うと やりたいことはさせてくれて
    いつも見守ってくれるような人でした。
    私はそんな親のそばで 褒めてもらえることを喜びとして
    学業も懸命に頑張れましたし 
    けっこう華々しく ご近似の方や 周りからもちやほやされて 
    こわいものなし!!、というような気持ちで生きていました。

    そんな私でしたので 褒めてもらえることが頑張れるパワーの源だったのですが
    主人と結婚してからというもの 「そんなこともわからないのか」とか
    「世間を知らなすぎる」とか
    常に減点方式で 悪いところばかりを指摘されることとなり、
    出来ることは出来て当たり前で
    常に上から批判を受けるものですから
    すっかりと自信を無くしてしまいました。
    そして私は 常に夢見がちで 現実離れした夢のようなことを
    心の栄養にして生きてきた人間なものですから
    現実主義の主人とは180度考え方が違い
    常にお叱りと厳しい指摘を受けながら 30年近く生きてきまして
    もう これ以上 自分がやりたいように生きる、ということは
    難しいのだなぁ、と実感するようになりました。

    特に堪えるのは
    私の両親がとても穏やかで私を叱ることがほとんどなかったため
    厳しい言葉の連打や乱暴な言葉による叱責を
    私の身体や心が受付ないのです。
    厳しさに慣れていないことが 私の大きな弱点でしょう。 
    けれど 反論したり 人を責めたりしないのは
    私の良い点でもあります。

    そして他の方からも ストレートなご批判を頂くこともあり、
    そういう点で 自分が未熟であることを痛感しています。

    この夏はオーラの泉の動画を片っ端から見ましたが
    人は 課題をもって生まれており、人生は修行の場であるように受け取りました。

    私はここ数年、穏やかで平和な日々だけを願い
    とにかく 真面目に 夢のような浮ついたことは思わず、
    淡々と過ごすことをしようと努力してきましたが
    私という人間が もともと夢を食べて生きていくのが基本となっているものですから
    正直 息苦しく
    もう いつあの世からお迎えが来てもいいな・・・と
    考えるようになりました。

    けれども だった一度のこの人生
    人に求めるのではない、すべては自分自身なので
    与えられた人生、
    自分が努力し 自分の理想に近づくことを
    本気でこれからやっていきたいと思っています。

    変わらなければならないのは
    自分自身なのです。


    「これさえなければ、という弱点が。」

    (2017・4・03)

    私の人生の 最大の幸せは 優しい母のもとに生まれてきたことだと思うのですが
    母が優しすぎたために 私は 世の中の人の厳しさが当たり前のように受け止められず
    そのことが逆にハンディになっていたことを痛感します。

    生まれながらにこれほどの幸せがあれば
    あとは厳しくても当然かもしれないと思うのですが
    とにかく私の人生は 幼いころより試練が多かったと 振り返ります。

    そして人生は 良いことも悪いことも合わせればプラスマイナスゼロだと思いながら生きているので
    あまりに良いことがあると 私は怖くてたまりません。

    弱点がない人も 世の中にはいるかもしれませんが
    たいていの人は なにかしらコンプレックスや弱点を持ち
    それと向き合いながら生きています。

    私にも当然あるわけですが
    これさえなければ人生バラ色なのに・・・と思う反面、
    もしこれがなくなった時に それに代わる さらなる悩みや苦しみが生まれるのであろうと思うと、
    まぁまぁこの程度の悩みを抱いて生きていくくらいは よしとしよう、と
    自分に都合の良い風に解釈して 目を背けてきたような気もします。
    すべては心の平和のため・・・と言い訳をしながら。

    だけどもう、弱点なんか いらない。
    もうこの年になったら、嫌味なくらい優等生で生きたっていい 。

    自分を誇りにして
    自分を愛せるようになるために
    今は 自分の弱点を克服し 
    これさえなければ・・と思うことを消し去る努力を
    今年は勇気をもってやっていこう、と
    桜咲く季節に 決意した私です。

    今年は 自分を変えていきます。
     




    HOME